過保護と過干渉

妻が記載しています↓
私が育児をしていく中で、最近とても目に付く事が親の過保護と過干渉です。
過保護と過干渉を調べてみたらこの様に書いてありました。
過保護とは「子供などを必要以上にいたわり育てる事」
過干渉とは「虐待の一種であり、保護者が我が子を一人の主体的な人間として認めず、その子供の意思や思考、自我の発達や自主性などを否定して、操り人形のごとく親の意のままにコントロールしようとする事」であると書かれていました。
ここで感じた事は過干渉に対して虐待の一種であるという認識を持っている人は少ないのではないかという事です。
過保護と過干渉、このどちらも似ている様なイメージで認識し、使っている人が多いように感じますが、過保護は親が愛情に対して間違った認識を持ち、子供の事を心配しすぎて、いたわる事が愛だと勘違いしている事から起こるものだと思います。
それと比べて過干渉は愛情ではなく、親である自分の事を偉い存在と勘違いし、親の思い通りに子供を操り育てやすくし、そして更に世間的に言う「良い子」にしようとする事ではないかと私は感じています。
「良い子」とは?

皆様が思う「良い子」とはどういう子供ですか?育てやすくて親や先生の言う事をハイハイ聞いている良い子が果たして本当に良い事なのでしょうか?それは大人の都合なのではないかと思うのです。(時と場所・場合に応じて適切に振舞う事は必要だと思います)
それぞれのご家庭の教育のスタイルや価値観も違うので色々な考え方があっても良いと思います。
何故私がこの過保護と過干渉の保護者に目が向いてしまうのかというと、それは私が育ってきた環境なのだと思います。
私の母親はあらゆる事にとても厳しく(躾に対しての厳しさは良いと思います)自営業を営んでいた事もあり、ずっと世間の目を気にする「良い子」を求められ、私自身もそれに答えなければならないと、ずっと良い子を演じて生きてきた様に思います。
それは私自身が『良い子でいる事=人間性が良い事』だと間違った認識をしていたからです。
でも、自分が親になりどのような子育てをしたいのかを考えると、自分の子供に対しては良い子に育てたいのではなくて、『自分の意見がきちんと言えて、自分の価値観を大切にし、そして自分の生きたい様に生き、親の為ではなく自分にとって幸せな人生を歩んで欲しい』ということです。
なのでいつも子供には
『親だから大人だから偉いわけではない。親も大人も人間だから間違ったりもする。ただ、大人の方が人生経験が豊富な分、色々なアドバイスができる。そのアドバイスは聞き入れた方が良いよ。その上で自分なりの考えで行動して欲しい。ママとパパも完璧ではない。だから良い所だけを自分に取り入れて悪い所は見習わないで欲しい。そして、親子でも一人の人として価値観は違って当たり前だから、パパとママとの意見や価値観が合わない出来事が起きても、きちんと自分の考えを伝えて欲しい。今はまだあなた達は子供だからパパとママに養って貰っている。でもこれは当たり前ではないよ。世の中には小さな時から辛い思いをしながら生きている人達が沢山いるんだよ。だから今の環境には感謝の気持ちを忘れてはいけないよ』と伝えています。
これは長男にも次男にも物心付いた頃から何度か話している事です。
長男が虐めにあう

長男が二年生の頃の話です。長男は身体が小さく優しい性格の為、『お友達にやられてもやり返すのは嫌だ!だってやり返したらその嫌な友達と一緒だから』とよく言っていました。
長男は今もですが、幼稚園の頃から園や学校での出来事などあまり話さないタイプで、嫌な事があっても男の子だからなのか?ハイセルの遺伝子を受け継いでいるからなのか?自己完結型なのです。
そんな長男がある日、学校から帰って来るとなんとなく元気が無い感じがしました。
何気なくランドセルを見たらランドセルに蹴られた様な足跡が数個ついていました。
私はこれはおかしいなと思い、息子に聞きました。
『ねぇ、ランドセルに蹴られたような足跡が付いているけど、これどうしたの?』と。
そうすると長男は『あぁ・・・友達とふざけていてついたのかも・・・』と答えました。私はその言動を見て変だとは思いましたが、きっと言いたくない事もあるのだろうと、その時はあえて追及はしませんでした。
しかし、その夜お風呂に入り息子の身体を洗っていると、足(スネの部分)に数個のアザがありました。なので私が
『このアザどうしたの?ランドセルの足跡と関係があるんじゃないの?話したくなかったら無理に話さなくても良いけれど、これだけは覚えておいてね。ママはどんな時もあなたの味方だからね。だからママに心配掛けたくないからとかそういう理由で言わないならそれは違うよ!』
と言うと、長男はポロポロと涙を流しながら
『実は学校の帰り道で僕が一人で歩いていたら、いきなりお友達5人からランドセルを蹴られたの。その時に足も蹴られた・・・。でも、ママに言うと心配すると思ったら言えなかった・・・。ごめんなさい。』
それに対して私は長男にこう言いました。
『ごめんなさいって謝らなくていいよ!だって何も悪い事してないでしょ。お友達に蹴られたりして痛かったし心も辛かったね。ママの事を考えてくれて黙っていたと思うけれど、ママに対しては今後そんな心配はいらないよ。ママはどんな事でも話して欲しいし、今回もきちんと話してくれて嬉しかったよ、ありがとうね。あなたは今回の事をどうしたい?このままにしておきたい?それとも先生に言ってほしい?』
そう聞くと、長男は黙って暫く考えている様子でした。
そして『う~ん・・・ママに言ってほしい気もするけど、何か違う気もする・・』と言ったので、私が『あのね、よく聞いてね、ママが学校に連絡するのは直ぐにできる。これが一番楽で手っ取り早い方法だと思う。でも、子供の喧嘩に親が出て行くと、少し事態は大きくなるの。ママはあなたが自分で解決してみる方が良いと思うよ。もし、自分で頑張って解決しようとしてもどうにもならない時には必ず最後にはママが守ってあげるから、先ずは自分で解決方法を考えてみて欲しいな』そう伝えると長男が『分かった!自分でどうにかしてみるよ!』とポロポロと泣いていた長男の目に力強さが宿った感じがしました。
長男がとった解決方法とは

次の日、長男が学校から『ただいま~!!!』と元気よく帰って来ました。急ぐように私に駆け寄って来て『ママ!僕ね、自分で解決できたよ!!みんなごめんねって謝ってくれたよ!』と目をキラキラさせながら教えてくれました。
私が『凄いじゃん!!もう解決できたの?どうやって解決したの?教えて!』そう聞くと長男が話してくれました。
『虐めてきた友達5人はみんな違うクラス(幼稚園は一緒)だったから、休み時間に一人ひとりのクラスに行って「昨日、僕は何もしていないのにいきなりみんなに蹴られた事、凄く嫌だったよ。僕何か悪い事したのかな?なら僕も謝るから」と勇気を出して言いに行ったの。そうしたら皆が「いや・・お前は悪くないよ。皆がやったからやっちゃった。ごめんね」って言って謝ってくれたんだよ!でね、みんなと仲良くなれたんだよ!ママ、ありがとう!!』そう話してくれました。その後、その虐めっ子とは仲良くしています。
この出来事で感じた事は、子供には子供の世界があって、その世界に直ぐに大人が入り込んでしまうのは、子供の自主性が育たない事、そして大人が入ってしまうことで問題が大きくなり、子供同士の関係性まで崩してしまう可能性があるのではないかと思いました。
大人は最後の砦として安心して頼れる存在であればよい。それまでは親は自分の子供を信頼して見守れば良いのではないかと。これこそが子育ての原点なのではないかと感じた出来事でした。
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