他人の不幸は蜜の味?

妻が記載しています↓
日本のことわざには、『他人の不幸は蜜の味』という言葉がありますが、その説明には【嫌いな人や自分と関係の無い他人の不幸は、自分にとってはむしろ喜びになる】と書いてありました。
皆さんの周りには他人の不幸ばかりを探したり、他人の不幸な噂話ばかりする人はいませんか?『○○さんは○○らしいよ~』や『○○さんって○○なんだって!』などなど、自分が確認した訳でもないのに、他人の不幸話をネタに楽しそうにお話をされる方っていますよね。そして、幸せな人を妬んだり、陥れようとしたり・・・。
そう言う方は基本的に自分自身が幸せではないからなのだと思うのですが・・・他人ならまだしも、カップルやご夫婦なのに『彼氏(彼女)に負けたくない!』や『旦那(妻)に負けたくない!』と思うのはどうしてなのだろう?と考えた事がありました。
過去、私が関わっていたママ友にもそう言う方たちが存在して、集まると他人の子供の噂話・我が子の習い事の自慢話・旦那の悪口大会などなど。私はそれが本当に苦手で、早々にグループに属さない事を決めました。以来、基本的に私は一匹狼で信頼できる方しかお付き合いをしていません(笑)
ママ友同士でありがちなのが、他人の子供と自分の子供を比べ、妬んだり、落ち込んだり。。。
ご夫婦でも一方は応援しているのに、一方は負けたくない!なのに子供の為に一緒に居ると言う不思議な光景が私には理解できませんでした。
一流の努力

その時にふと思ったことがありました。妬んだりする人はどのくらい必死で自分の夢や未来、そして今に努力しているのだろうか・・・と。
他人の不幸は密の味という価値観の人は『一流の努力』をしてこなかった人なのではないかと思いました。
一流の努力をしていたり、してきた人は、他人と自分との違いを否定したり、他人と自分との違いに優劣をつけたりせずに、認め合って尊重し、応援して共に過ごしていけると思うのです。
なぜなら、一流の努力をしてきた人は、自分のしてきた努力と他人がしてきた努力の種類が違っていても、その価値や大変さを知っているし理解しているからだと思います。
他人の成功や幸せを素直に喜んだり祝福できる人は、他人の幸せや成功とは別に自分には自分の別の成功や幸せがある事を知っているので、それらの違いに優劣をつけたりもしないし、他人の幸せを欲しがったり妬んだりもしません。
そして、自分の中に揺るがない自分の絶対的な価値観を持っているからだと思います。
この様に『一流の努力』をしてきた人は、他人と比べたりせずに相手の幸せを祝福し、相手を認める事が出来るのではないかと思いました。
自己肯定感と自己愛性パーソナリティ障害
私は『自己肯定感の高さ=自己評価の高さ』ではないと思います。
自己肯定感とは自らの存在を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情。
自己愛性パーソナリティ障害とは「自分は特別で重要な存在である」と誇大な感覚を持っている事。
この二つは似ているけれどかなり違いがあると感じます。
自己肯定感が高い人は、仕事や人間関係において自信をもって行動できます。そしてまた集団においても臆することなく発言したり行動できたりします。
この様に周囲に迷惑もかけずに行動できるので、自己肯定感は高いほうが良いと思います。
自己愛性パーソナリティ障害は、ありのままの自分を愛する事ができず、自分は優れていて素晴らしい存在でいなければならないと思い込み、常に自分の能力を過大評価し、他人から見ると自慢げに見えたり傲慢な態度に見えたりします。
一方で、他人の努力・評価・価値に対しては過小評価してしまいます。
その為、相手の気持ちに共感できないことが多く、人間関係においても困難を抱えてしまいます。表には出さないかも知れませんが、批判された言葉や恥をかかされた事などが脳裏から離れずに虚しく感じてしまったりするために、他人に対して強い恨み・妬み・怒りの感情を抱いてしまう事も多いように感じます。そして自分にとって都合の良い結果ばかりを望むので周囲の人にとっては負担になってしまいます。なので障害として扱われているのではないのかな?と思います。
この様に自己肯定感と自己愛性パーソナリティ障害とは、似ているようで全く別なのです。自己肯定感を高めることを意識した時、自己愛性パーソナリティ障害の認識を自己肯定感の高さだと勘違いをしている人がいるように思います。高めるなら自己肯定感の方ですよね!
なので私は、他人と比べたりせずに他人の価値観や色々な事柄を多角的な見方で見られるように心がけ、他人の幸せも祝福できる人でありたいなと思っています。
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