『無駄』ってそういうこと?

あなたは、どのようなことを無駄だと思いますか?
お姉さんが無駄について色々と教えてくれました。お姉さんの言葉です↓
みんなそもそも無駄の認識を間違っているのではないかな?と思う。
他人や自分に対して色々な事が無駄だと思う人は、自分自身に対しても(存在が)無駄だといっているようなもの。この言霊は最悪なの。そのことを説明していくね。
大切な時間と無駄な時間

例えば土・日曜日や家族の休日に自分自身の趣味であるゴルフ・パチンコ・スポーツなどをしたとするでしょ。
この時間はやってる本人には『大切な時間』
でも、家族にとったらどうか?家族からの視点は『無駄な時間』に感じるかもしれないでしょ?
この様に、視る側の視点によって無駄だと思うかどうかは変わるんだよね。
この様に無駄にも裏と表がある。
無駄を無駄で終わらせるのか、無駄を素敵な経験として輝かせるのか、それはその人次第。
そして、無駄を輝かせた人が今日の自分を越えられると思う。そして比べるなら他人とではなく、今日の自分!!この認識はとても大事だと思う。
現世においての無駄だと感じることは、自分が意識せずに使ってしまった時間。
例えば夜寝る前に少しスマホを開いただけのはずが、1時間以上経っていたなど。目的のない事に対して費やしてしまった時間とかでしょ?確かに、現世においては時間が限られているので、無駄に感じることもあるかもしれない。
でも、こちら側に来たときにその下らないと思っていた事さえも、余裕な時間を過ごせたと言うプラスの体験になるんだよ。
だから、私もハイヤーさんも、無駄に対しての認識は殆んど一緒なんだよね。
自らが積んだ経験も無駄と考えてしまったり、口癖の様に無駄だったと吐き出すと、自らが積んだ経験も感動(苦労)も言霊として吐き出されてしまう。色々な物事に対して、無駄だと吐き出してしまうようなタイプの人は、価値観として結果主義でプロセスを大事にしない人が多いように感じるね。
その価値観で物事を判断しているから無駄だと思ってしまうんだよね。だから、そういう人は魂に刻まれず霊界に戻ることなる。なので、無駄だと本人が言えば言うほど、本人にとっては本当に無駄になっている。その認識を持って考えを改めた方が自分のプラスになっていくと思うよ。
以前載せた『プライドの捨て方』に書いたプライドと同じくらいステージアップの足かせになってしまう。『プライド』と『無駄』これを二つとも持ち合わせている人が非常に多い。理由としては、親から押さえつけられて育った人や親の敷いたレールを歩いてきた人は、心の器が大きくなれず、自分にとってプラスだと思うことしか容量として入らない。だからこぼれてしまった分を無駄だと感じてしまう。
でも、プライドと無駄という価値観を変えようと意識することで、足かせが無くなり、心の器も広く深くなるので、自分がもし思い当たる節があるなら、変えた方が絶対的に自分のためになる。そして家族のためにもなる。特に子育て世代の親に、認識してもらいたいのは、子どもにとって親は絶対的な存在だから、この負のループを繰り返さないためにも、親がここを認識していた方がいいと思う。
そうすることで、自分の可能性も広がるけど、子どもにとっても多大な影響を与えるし、子どもの視野(世界観)も広がることになる(親のレールを敷かないことにも繋がる)から、自分のために改められない人は、子どものために改めようとすると俯瞰して見ることができ直しやすいかもね。
無駄と思ってしまったらどうする?
無駄だと思ってしまう思考は誰にでもあるの。でも、その時には『無駄だったかもしれないけれど、良い経験が出来た!』と、良い言霊にかえてしまえば良い!
人生には『機転』も必要!
この『機転』が聞く人は『転機』が来てステージが進みやすい!
この漢字をよくみて!機転と転機は逆なように、悪いことがあった時に咄嗟の機転で物事をプラスにし、悪いこと全てに真逆の意味があるのだと捉えれば自ずと転機の時にプラスの道へ進める。
無駄という漢字を見て思うこと
無駄の『駄』という漢字は、『値打ちがない・つまらない』という意味がある。そして、無駄という字は駄に無がついているので、『値打ちがない・つまらない』ことなど無いという風に私は認識しているの。
だから現世において、無駄なことはあの世では財産になるから覚えておいてね!
駄目と駄々

ここからは私(ハイセル)がお姉さんから教えてもらったことを書きます。
『駄目』は、心で視ずに目で見て決めつけ判断すること。
以前こんなことがありました。息子が学校の給食時に、お友達がこぼしてしまったスープを席から立って、自分のティッシュで拭いてあげたそうです。これを、担任の先生は息子本人が食べ終わっていないのに人のおせっかいをするのは駄目!!と怒ったそうです。でも、これは目で見たら駄目かもしれないけど、心の目で視たら、誰かを助けてあげたいという気持ちで動いているので、むしろ良いこと。このように、大人になると自分の感情(めんどくさい)や勝手な先入観で自分の物差し、自分の器で判断しているため、そこから外れるものを駄目という人が凄く多い。そのことを残念に思っているとお姉さんが言っていました。大人がこれでは、子どもの心が育たない。それには、危機感を覚えているそうです。
『駄々』についても、この漢字のように『値打ちがない・つまらない』時間が大人にとっては永遠に続く感じがして、嫌気がさすことも多いのではないでしょうか。でも、駄々をこねている子どもにも意味があるのです。大人に取ったら駄々をこねている時間が無駄に感じるかもしれませんが、子どもの駄々を無駄にしないためにも、大人は駄々をこねている理由をきちんと受け止めてあげることが大事だと言っていました。(これが出来ていない親が凄く多いのだとか。。。)
このように、私たちが日々無駄だと感じていることには、無駄ではなくしっかりとした意味があるのだと深く考えさせられました。皆さんも、日々無駄だと感じた時間や事柄を見直すきっかけになればと思います。そうすることで、更なるステージアップが望めると思うので、ぜひ心がけてみてください。
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