脳死はスピリチュアル的にどう捉えるの?

脳死はスピリチュアル的にどう捉えるの?

ハイセルです。
皆様は、臓器提供について話し合われたことはありますか?
今日は、脳死と臓器提供のことについてハイヤーさんとお姉さんに聞いてみました。

私(ハイセル)
「まず脳死の状態は、魂は抜けているの?」

ハイヤーさん
「心臓が動いている間は抜けずに一体となっているよ。完全に抜けてしまうと動かなくなるから」

私(ハイセル)
「例えば、心臓を移植したら、魂も移植先に宿ったままとなることがあるの?」

ハイヤーさん
「それはないね。ちゃんと幽界に行けるよ。ただ、魂とは切り離されるけど、心臓とかは特に趣味嗜好が移植者に移りやすいということはあるね」

お姉さん
「みんなにご好評の野菜で表現するとね、例えばニンジン(臓器提供する側)大根(臓器提供される側)とすると、ニンジンの一部を大根に移植しても、色はついても大根はニンジンにはならない。でも大根にオレンジの色はつくよね。その色が趣味趣向と考えると分かりやすいと思うよ」

私(ハイセル)
「あぁ~確かに分かりやすいね。もう一つ聞きたいんだけど臓器提供はした方がいいの?」

ハイヤーさん
「それは本人の価値観次第。だから、事前に話し合っておいた方がいいよね」

お姉さん
臓器提供対してみんな重く捉えている思うけれど私の価値観の話をするなら、ニンジンの皮や葉っぱの部分を捨ててしまう人と、使う人がいるでしょ?その価値観の差くらいのイメージなんだよね。私の価値観はどうせ捨てるなら提供した方がいいのではないかなという価値観なんだよね」

私(ハイセル)
「確かに重く考えてたね。どうせ捨てるなら使ってもらった方がいいかもね。ちなみに、臓器提供することが徳を積むことになるの?」

ハイヤーさん
「徳を積もうとしてやっても、それは欲なので、徳を積むことにはならないね。心から誰かのためにやってあげたいという想いで行う事は徳になる」

私(ハイセル)
「なるほどね、そういうことか」

心から誰かのためになりたいと思う気持ちが大事なんだと思いました。
これを機に家族で自分たちの死後、臓器提供についてどうするのかを話し合ってみるのもいいですね。

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