初めて霊に感謝された日

妻に記載してもらいました↓
私の母は闘病の末、長男が2歳の時に62歳で亡くなっています。その頃、母方の祖父母はまだ健在でした。母が亡くなり同じ年に祖父が大往生で亡くなりました。
私は一人っ子と言う事もあり、主人も快く受け入れてくれた為、祖母を私が引き取ることにしました。当時長男が6歳、次男が0歳だったので、育児と介護に明け暮れる日々を過ごしていました。
そんな目まぐるしい日々を過ごしていましたが、家に引き取ってから4年後に祖母が天寿を全うし安らかに旅立ちました。
祖母は生前から『私が死んだらお葬式はやらなくていい。そんな無駄なお金を使うなら孫たちに使ってほしい』いつもそう言っていました。
なのでお葬式と言う形式ではなく、祖母の意思を受けお別れ葬と言う感じで私たち家族だけでひっそりと執り行いました。
祖母の棺の中にお花や愛用していた品、大好きだったお菓子、そして私達家族からの手紙を入れていた時です。『ハイセル妻ちゃん、長い間お世話になったね。本当にありがとう。これからもハイセルさんを大切に家族仲良く暮らしてね。』そう祖母の声が聞こえた気がして、涙がこぼれました。隣を見るとまだ小さな息子たちも大粒の涙を流していました。
今思えば声が聞こえた気がしたのではなく、頭の中で祖母の声がきちんと聞こえていました。
でも、当時の私はたまに霊が視える程度で、現在のような力はまだ無かった為、最初は半信半疑でした。
火葬の日

その日は晴天でとても空気が澄んでいたのを覚えています。
祖母の火葬場へ向かう途中に、火葬場からすぐ近くの電話ボックスで電話をしていた女性が居たのですが、朝一番の火葬だった為、こんなに朝早くに電話ボックスで電話している人も珍しいな・・・。
そんな気持ちで見ていたのですが・・・なぜかその光景がとても不思議で気になっていました。
久しぶりの母の声

火葬場に着き、火葬が終わるのを待合室で待っている間の出来事です。
待合室は和室だったのですが、ガラガラと扉が開く音がしたので誰か係りの人が入って来たのだと思いました。(その音は長男や次男にも聞こえていたそうです)
気になり暫く扉の方を見ていたのですが、誰も入って来なかったので気のせいか・・と思っていたその時です!
『ハイセル妻、本当は私が看なければいけなかったに、おばあちゃんをハイセル妻に全て押し付けてしまう事になってごめんね。育児をしながら大変だったね。本当に苦労を掛けて申し訳ないと思ってる。ハイセル妻には感謝してるからね。本当にありがとう。長男も次男も(子供たちの名前を呼んで)大きくなったね。いつも見てるからね!』と、今度は母の声がハッキリと聞こえました。ただそれだけを言うと直ぐに居なくなってしまい、そういう所も母らしいと思いました。
何年かぶりの母の声に私は涙が止まらなくなり、号泣してしまいました。
母は闘病の末亡くなったのですが、母の最期の一ヶ月程は意識があると苦しむと言う事もあり、医師と相談のうえモルヒネに加え鎮静剤も打っていました。そのため意識が無く誰とも意思の疎通が出来ないまま亡くなってしまった事が私の中で悲しくもあり、ずっと心残りでした。
そんな事もあり、久しぶりの母の声、母の気持ちが聞けた事、そして母は次男には会ったことが無かったのに次男を名前で呼んでくれた事がとても嬉しくて嬉しくて・・・。
いつも見守っていてくれていたのだと分かり、言葉では言い表すことが出来ない、なんとも言えない気持ちになりました。それと同時に母の存在をとても身近に感じる事が出来た事で、今まで我慢していた感情が溢れ出し、私の涙腺が崩壊してしまったのではないかと思うくらいに涙が出て止まりませんでした。
そんな時、係りの方が案内をしに来ました。
号泣している私を見て係りの人からはきっと、祖母が亡くなり悲しんでいる様に映ったと思います。
いきなり泣き出した私の姿を見ていた主人は、あ・・きっと誰かが来ているんだと察してくれた様子で、私の代わりに係りの人から話を聞いてくれていました。
あの時、私の意識が係りの人に向いてしまったらきっと母の声を最後まで聞く事はできなかったと思います。ハイセルありがとう!(笑)
お見送り

火葬が無事に終わり、私は祖母の遺骨を抱えて主人より先に車の助手席に乗り込みました。
火葬場では担当者の女性が一人居たのですが、帰り際にその方とは別に喪服を着た白髪交じりの男性と若い女性の二人がお見送りをしに来てくれていたので、私は最後のお見送りだから違う人も来てくれたのだと思っていました。
後から運転席に乗り込んできた主人に『最後のお見送りには違う人も来てくれるんだね、本当にありがたいね。』そう私が言うと、主人が『えっ??担当の女性しか居ないけど』と言いました。
私は驚いて車のバックミラーで確認するとやはり喪服を着た男女が並んでこちらに向かって深々とお辞儀をしていました。
その事を主人に伝えると、やはり主人には視えていないようでした。
その時に分かったんです。男性の方は祖母より先に亡くなった息子(私から見て叔父)、その隣に居た女性は亡くなった叔父の娘でした。(私から見て従姉で不慮の事故で9歳の時に亡くなりました)
私が気がつくまでに時間が掛かったのは、亡くなったその従姉が成長した大人の姿で立って居たからです。
私がまだ小さい頃、その従姉とは目と鼻の先に住んでいた事もあり、何処に行くのも何をするにも一緒で、まるで姉妹のように仲が良くて、小さい時からとても綺麗な従姉でしたが、成長した姿もとても綺麗な大人の女性になっていました。
実は祖父母は元々、息子家族と住んでいたのですが、息子が先に亡くなり色々とあったため私の母の所に家出同然で来ていたんです。
祖父母はとても長生きでしたが、自分たちよりも先に孫娘(従姉)・息子(叔父)・娘(母)の順に三人を先に亡くし見送っています。
そんな事もあり、叔父と従姉は祖母を看てくれた私に対して、ありがとうと感謝の気持ちを伝えに来てくれたのだと思いました。なので、不思議と怖いと言う感情は全く無く、温かい気持ちでいっぱいでした。
”亡くなってからも、大切な人に対して感謝の気持ちを伝えたい”
そういう想いが亡くなった方にもある事を初めて知ることが出来た体験でした。
温かい気持ちでお墓に向かっていると、朝、行きに見かけた女性が電話をしていた電話ボックスが目に入りました。でも、その電話ボックスは物置として使われており、電話機本体も無く電話ボックス本来の用途として置いてある感じではありませんでした。その女性も、もしかしたら誰かに何かを伝えたくて電話をしようとしていたのかも知れませんね。
祖母の探し物

生前祖母は私があげた腕時計をとても大切にしていました。祖母の最期は病院で亡くなったのですが、亡くなった後、その腕時計を私が預かり脱衣所のところに掛けてありました。
祖母が亡くなったその日の夜、私がお風呂に入っていると、脱衣所のところに祖母の姿が見えてカチャカチャ音がしていました。それを見て『おばあちゃんは腕時計を探しているんだ!』とすぐにそう思いました。
なので、祖母に『おばあちゃん、腕時計は私が大事に持っているよ!後でちゃんと返すからね。』そう伝えるとその後は姿を見せなくなりました。
なので、腕時計はお骨と一緒に納め、約束通り祖母の元に返しました。
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