私がうつ病をやめた理由

私がうつ病になった経緯

この記事は妻が記載しています↓

私(ハイセル妻)の人生はけっこう波乱万丈だと思います。

最初、この記事を細かく書いていたけれど私の手違いで全部消えてしまった。(泣)

かなりの超大作だった為、あまりのショックにやる気をなくしたけれど、よくよく考えたらかな~り暗い文章だったので、天国に居る母から暗すぎる!やめなさい!と言われた気がした!という事にしておきます(笑)

私が今ここに居て、死なずに生きてこられたのは、きっと一番近くにい居る主人(ハイセル)がスーパーポジティブ人間だったからなのかも知れない。

以前の私は本当にネガティブでまだ起きていない出来事なのに先々に考えすぎて勝手に不安になり負のループ。今思うとどうしてあんな感じだったのか考えてみると、きっと私は自己肯定感が低かったのだと思う。

なので、子供達には自己肯定感が低くならないようにと意識して育ててきたけれど、息子達を見ていると少し自己肯定感が高すぎる気もしている(笑)

私がうつ病になった頃、本当に人生の負と言う出来事がこんなにも重なるのか?と言う位に重なった。

母の足の手術が医療ミスそこから母が歩けなくなる両親の営んでいたお店を閉店母が歩けなくなった事で更に体調が悪化入退院を繰り返すその辛さから逃げるように父がアルコール依存症になるその頃第一子を早産で亡くす義母から『子供に奇形があったのかも知れない、だから亡くなった事を神様に感謝しなさい!』と言われる義母から『あなたが体が弱いから子供がこうなるんだ!』そう言われ、私の身体改善の為のサプリメントが送りつけられてきた義母との絶縁その後、無事に長男を出産する母の体調が悪化の一途をたどり始める主人の転職祖父母が家出同然で実家に来てしまう高齢だった為救急車を呼んでは入退院をする日々それと同時期に母も入退院を繰り返すまだ1歳だった息子を連れて祖父母の病院に通う日々それと同時に母の病院にも通う日々母のいきなりの死の宣告母の死祖父の死財産問題で裁判父の女性問題父のアルコール依存症が酷くなる。父が祖母の面倒を看なくなる祖母を一時避難の為に施設に預け費用を負担費用負担も大きかったため、施設から祖母を引き取り自宅で介護祖母がベッドに座り損ね腰骨の骨折病院や介護施設への入退院祖母の死

などなど、結婚前の事を省き軽く書いてもこのくらいの出来事が起きました(汗)

私がうつ病を発祥した頃の出来事を時系列で書いてみたけれど、なかなかヘビーですよね。

この中でも私を苦しめたのは裁判、母の死、父のアルコール依存症、父の女性問題です。

そこに待ってはくれない育児。

当時の私はいっぱいいっぱいでした。

地獄の痛みが始まる

最初は胃痛からでした、なんともいえない激痛!

誰かに胃をわし掴みされた様な激しい痛みに襲われ、胃カメラを3回も飲んだけれど、異常なし。そして原因不明の痛みは続き、鍼灸治療に通ってみたり、色々と試しましたが治るどころか痛みが激しさを増すばかり。

その頃、持病の喘息を診てくれていた先生にこの痛みの事を話すと『それはおそらく精神的なものからきてると思うから、一度心療内科に行ったほうが良いよ。』と言われ、直ぐに行きました。心療内科の先生は色々と親身に話を聞いてくれました。診断結果はうつ病とストレスから来る全身疼痛だという事が分かり、投薬治療に加え、そこで初めてカウンセリングというものを受けました。

全身疼痛は薬のお陰で長引く事は無くどうにか治まりましたが、本当の苦しみはここからでした。

その頃、神経が過敏になっていたのか、とにかく音という音が煩くて仕方がなかった。

特に煩く感じたのが子供の泣き声です。本当に頭がおかしくなりそうで耐えられないのです。でも、私に頼れる人は誰も居ません。

その頃、主人は仕事が忙しく終電で帰ってくるという生活でした。

唯一頼れる父もアルコールを飲んでいるので子供を預けられない。

この頃が一番きつかったです。このままだといつか子供を傷つけてしまうのではないかと言う不安もありました。

その頃からです。毎日頭をよぎるんです『こんなに辛いなら消えた方がマシ』だと。

そして、毎日『どうやったら楽に死ねるか』この事しか考えられなくなっていました。

いつもの心療内科の先生にこの事を話すと先生はゆっくりと私にこう話し始めました。

『私はあなたの命が大切です。あなたがお父様の事を大切にされているからこそ苦しいのも分かります。でも、あなたがいなくなったらお子さんとご主人はどうなるんですか?あなたの命を守るためにはお父様との関係を切る事も考えたほうが良いと思います。私の患者さんの中にも、あなたのようにアルコール依存症の患者さんをお持ちのご家族が居ます。私はどちらかの選択しかないと思っています。関係を絶つ選択をして楽になるのか、一緒に居てだめになるのか。でも、これを選ぶのはあなたしかできないんですよ。そしてアルコール依存症の方をあなたが治すのは多分無理です。ちゃんとした治療を受けないとお父様の命も危険ですよ。アルコール依存症は否認の病気なので、まずはお父様が自分でその病気を認め治そうと決心しない限りは難しいんです』
先生はそう私に話しました。

私は両親と、とても仲がよかったからこそ、父をどうにかアルコール依存症から救いたいと思うがあまり、自分を犠牲にしていたのかもしれない・・そう思いました。

父に『私が行っている心療内科に一緒に行ってみない?多分アルコール依存症だと思うから』そう言うと、父は笑いながら『俺はアル中じゃないよ(笑)』と言いました。

この時に先生の言うとおり否認の病気なんだと改めて思い、目が覚めた気がしたんです。

アルコールを飲んでいる父は人が変わった様になってしまい、母や家族の写真を捨てようとしたり、酔って知人に変な電話をしたり、当時の私は本当に辛く、大好きだった頃の父がもう居ない感じがして苦しんでいたんだと思います。

そして、何より許せなかったのがあんなに母を愛していると言い続けていた父が母が亡くなって一ヶ月で女を作り、家に上げていた事でした。(本当に仲の良い夫婦でした)

そして、お酒と女にお金を使ってしまい、完全に祖母の面倒をみなくなりました。

それがどうしても許せなくて、心の中でいつも私はおばあちゃんを看て貰っている代わりにお金の援助もしてる!なのにそのお金をお酒と女に使って何なの!いい加減にしてよ!と思っていました。

私の転機

そんなドロドロとした感情を持ち続けていた頃、たまたま主人の会社の上司から食事に誘われて奥様もどうぞ!と言って頂き、お言葉に甘えて主人と一緒に久しぶりに食事に行きました。

なぜ初対面のその上司に身の上話をしたのか今でも分からないのですが、気がついたらその上司の方に父の不満や鬱憤を話していました。

そうしたらその上司が
『そっか・・・お母様も亡くなりそれは辛かったですね。でも、何であなたはお父様の事でそんなに辛い思いをして苦しんでいるんですか?だって、お父様が女を作ろうがあなたには関係ないですよね?お父様が女を作った理由はきっと愛していたお母様が亡くなって寂しかったからだと思うんです。お父様の人生なのにそれをあなたが怒ったりしても意味が無いですよね?だって、お父様にはお父様の人生があって、あなたにはあなたの人生がある。病気になるくらいそれが嫌ならあなたが離れれば良いだけじゃないですか?』と。

そして一言最後にこう言われたんです。
『あなたが受けたいならカウンセリングも良いと思うし否定はしません。でも、あれも商売なんです。だから直ぐに答えなんて教えてくれませんよ!あなたがお父様の人生と自分の人生を混同するから苦しんです!それが分かればカウンセリングなんてもう受けなくても良いと思いませんか?』
そう言われました。

この時、私はこの上司の言った言葉全てに頭をカナヅチで殴られた様な衝撃が走りました

確かにそうかも知れないと思ったんです。

父が女を作ろうが何をしようが父の勝手なんですよね。母が亡くなり辛い中、子育てに追われ、祖母を放ったらかしで女を作って飲んだ暮れ遊びほうけている父に腹が立ち、その負の感情を全て父のせいにして苦しんでいたんです。

そう思ったら、父のせいにして勝手に苦しんでうつ病になっている事が馬鹿らしくなりました

たまたま次の日がカウンセリングの日で、昨日の出来事をカウンセリングの先生に話したら先生の顔色がどんどん変わって『あなたは危険です!そんな一回しか会った事の無い人から言われた言葉に影響され流され、そんな感じだから精神的な病気になるんではないですか?』そう言われました。

この時に夫の上司が言っていた『カウンセリングも商売』と言われたことを思い出していました。

カウンセリングを否定はしませんし、このカウンセリングに助けられてる方々が沢山居るのも事実だと思います。ただ、私には何年も通い決まった時間しか話せないカウンセリングは合っていないと思い、この日が私の最後のカウンセリングになりました。

決意

そして、私は決めました!

自分の負の感情を父のせいにして逃げるのはもうやめようと。

父が許せないなら離れればいい。そして祖母の面倒をきちんと看ない事に腹を立てるなら私が看ればいい。

その代わり、私はもう父にお金の援助をしたりもしない。(祖母を看て貰っているからと思いお金を援助していました)

そして、私は父と離れる決意をしました。

(私がお金を援助するからお酒も買えるし飲むんです)

人生が好転していく

心療内科の主治医にもうカウンセリングは止めたい事、そして薬ももう飲みたくない事、などを相談しました。そうしたらそれは危険だから駄目だと言われました。

ただ、どうしても止めたかった私は強硬手段に出ました。

たまたま引越しをする事が決まっていたため、心療内科に行く事を自体を止めました。

(これは危険だと思うので、絶対に真似しないで下さいね)

その後、2年間程飲んでいた精神薬をいきなり止めた事による離脱症状に苦しみました。やはり精神病で飲む薬は強いのだと思い知らされました。

何度、もう一回飲もうとしたことか・・。でも、ここで飲んでしまったら又逆戻りしてしまう。絶対にもう戻りたくない!この強い思いだけが私を突き動かしていたように思います。うつ病も辛かったですが、この離脱症状の方が辛かったかも知れません。

そして、完全に薬を止めて二ヶ月が経ったころ、ちょうど新居も完成し引越しの準備をして無事に引越しが終わり片付けていた時にふと、あれ??生理が来てないな・・・と思ったのですが、薬も止めて体内時計も狂ってるのかも?なんて呑気に考えていたら、次男を妊娠している事が分かりました。一人っ子予定だったので、どこでどう次男が私を選んで来てくれたのか主人も私も実は謎なんです(笑)

そこからも祖母を家に引き取ったり色々と大変な事がありました。今も大変な事はありますが、あれからうつ病の再発もなく、人生が好転している感じがしています。私たち夫婦は、頼れる人がいなかったからこそ夫婦の絆は深いのだと思います。

そして、私の体験からも『自分を哀れむ・責任転嫁・依存』これらを自らやめれば必ず人生は好転すると思っています。

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